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和歌山家庭裁判所 昭和41年(家)422号 審判 1966年9月02日

申立人 村田津留子(仮名)

主文

申立人の姓「村田」を「神林」と改めることを許可する。

理由

本件申立の要旨とするところは、申立人の父民二は亡村田亀松と亡村田ヤスヱ間の二男として生れ申立人の祖父亡神林富吉祖母キヌエの娘神林咲子との間に大正一五年三月三一日婿養子縁組をなしそしてその新夫婦の間に申立人の外四人の子女が生れたものであるところ、咲子は昭和一五年一二月五日死亡し民二は後妻はなと昭和三○年七月二三日婚姻し、新戸籍を編製すると共に咲子との間にできていた申立人を含む子女全員も同年七月三○日その戸籍に入った。然るに民二は養父母のともに死亡したその後に係る昭和三一年一二月二七日法定の手続を経て亡養父母と離縁し神林の氏を棄ててその旧姓村田を称するに至りそれと共にそれ迄神林民二の戸籍にあった申立人を含む三名の子女もすべて村田と氏を改めて村田民二の尸籍に入った。然して更にその後昭和三七年二月一三日申立人は鈴川康雄と婚姻して鈴川津留子となったが又更にその後の昭和四○年八月一七日右二人は離婚して申立人は村田民二の戸籍に復したのであるが鈴川康雄との間に昭和三七年一○月二四日生れた長女礼子がその後村田と氏を改めたため申立人は肩書地に新戸籍を編製しこの母子二人丈けの戸籍の下に今日生活している次第である。然るところ回顧すれば母咲子は大正一五年神林松太郎の娘として神林の姓のまま死亡したのにその死亡後その夫民二は亡養父母と離縁をして神林の氏を棄てて村田となりそして民二と咲子との間に生れた子女一人だけに今日神林を称し以て生母神林咲子の後えいたることを表わす者とてはない現況を詢に遺憾とする次第であるので茲に申立人に対し神林と改姓することの許可ありたいと謂うに在るところ按するに申立人及びその生家神林家の人々に係る戸籍上の推移一切が申立人の申立通りであることは記録編綴の戸籍謄本に徴し明らかである。ところで申立人の申立つる改氏事情の当否についてはその父神林民二が養父母の死亡後これと離縁して神林の氏を棄てて村田の氏に復し、然もこれと同時に民二と亡咲子との間に生れた申立人を含む子女等に於ても氏を村田に変更したので亡神林咲子の後えいたることをあらわす者一人だになきに至った現況を遺憾とする旨の申立人のその心情は裁判所諒察に難からざるところであり、申立人が改めて神林と改氏し以て母の慰霊をしたいと謂うにおいてはこれを戸籍法第一○七条第一項に言う「已むを得ない事由」あるものとしても敢て妨ぐるところなしと思料するので仍って本件申立を認容することとし主文の通り審判する。

(家事審判官 山東広吉)

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